おはようございます。
昨日のニュースから。
<首相退陣時期>3法案の成立を条件に。
菅直人首相は首相退陣の時期について
「11年度第2次補正予算案の成立、
再生可能エネルギー法案の成立、
特例公債法案の成立が一つのめどになると考えている」
と述べ、3法案の成立を条件とする考えを示した。
辞めるのに条件つけるとは?
最近読んだコラムから、
面白かったので載せました。
時間のある方は続きを読んでみてください。
岩見隆夫さんのコラムから引用
【近聞遠見:菅の「心境」を想像する=岩見隆夫
さて、簡単でない。
菅は割合理解しやすい人物とみていたが、
そうでもないことがわかってきた。複雑人間とも違う。
例えば、「ヨッシャ、ヨッシャの角さん」の一言で
田中角栄のイメージはくっきり浮かび上がり、
いまも人気を保つ理由と言っていい。
菅にはそうしたトータル・イメージがなく、
心境を推し量る因子が乏しい。
田中の場合なら、金、人情、強引、直感力、
愛嬌(あいきょう)などだ。
菅は1976年、田中がロッキード事件で逮捕された
直後の衆院選に初出馬、落選したが、
この時の選挙戦略は<田中角栄VS菅直人>
転じて<新潟3区対東京7区>だった。
超大物の胸を借りようとしたのだ。
以来、アンチ角栄が菅政治の原点にあるらしい。
クリーン、市民派、対決型論客、参加民主主義など。
しかし、それらが田中のように体臭として臭ってこない。
最近の国会答弁では、
「市民運動家と言われるのは好きでない」
と言ったりする。
菅の心中は日々よりどころを求めて揺れているのではないか。
断固としたものが伝わってこない。
といって、深く悩んでいるふうでもない。
場当たり、思いつき、思い込み、
が菅批判の常とう文句になっている。
それもあるが、もっと深層で、
<なぜこんなことになったのか>
が自分でわからなくなっているようだ。
通常は、表に出る言葉が心境を知る手がかりになるが、
一昨日、菅は、
「全力を挙げ、燃え尽きる覚悟で取り組んでいきたい」
と記者団に語った。
以前は、「命を懸けて……」も再三使っている。
これら最上級の決意表明がどのレベルのものなのか。
菅の言葉は、心境理解に役立たない。
言葉が大仰なほど、表と中身の違う浅薄さを感じてしまう。
<菅がイラつくのは理解できる。
グズグズ、モゴモゴするタイプは苦手です>
と伸子夫人が著書に書いている。
だが、人間はほとんどがグズグズ、モゴモゴだ。
田中なら相手が何を言いたいか敏感に察知し、敏速に処理した。
菅は逆に敬遠する。政治家向きでない。
もう一つ、頂上に上りつめた男の内面である。
首相という強権のポストは怖い。
多分、歴代首相も自分がポストにふさわしいかどうか、
確信が持てないまま就いているだろう。
まもなく適・不適がみえてくる。能力の有無ではない。
能力がなければ、首相までたどりつけないからだ。
分かれ目はただ一点、私心をどこまで捨て切れるか。
無私とまでは言わない。
保身的心情を極力抑え、公(おおやけ)に奉仕する。
当たり前のようで、容易ではない。それができれば、
「一定のめど……」
などと退陣に条件をつけるはずがない。
実績が乏しい菅は、首相を辞め、
一介の議員になることを恐れている。
だから、少しでも名が残るような仕事をしたい。
それが保身、個人的野心である。(敬称略)】
とあります。
なるほど、なるほどですね。