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ZIPANGU何処へ行く!!

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おはようございます。
朝からぶったまげ。
罰当たりもの、それとも?
戒名自分でつけてみた?
戒名料ってホントに必要? 
「88歳で逝った父に自分で戒名つけてみた」という記事が
週刊朝日(後述添付)にありました。
そもそも戒名とは、
戒名は戒律を守り仏道修行に入った出家者だけに
贈られるものでした。そのため一般の人には厳しすぎて、
なかなかいただけるものではありませんでした。
今日では儀式を受けたり、一定の講習に参加した人に
授けられるようになっています。
死者に贈られる名前のように考えられがちですが、
本来は戒律を守り仏弟子となった証としてつけるものなのです。
宗派によっては戒名と言わず、法名や法号と呼びます。
親鸞聖人は「何一つとして戒を守れない凡夫だから、弥陀の
誓願によってのみ救われる」との教義を打ち立てましたので、
浄土真宗に戒名はありません。
仏弟子になるには「おかみそり」を受け、
「法名」をいただきます。
また、日蓮宗では法華信者は霊山浄土に生まれるとされるため、
戒名よりも「法号」と言うことが多いようです。
戒名や法名は二文字で表されます。
どんなに身分の高い人でも二文字で、
仏の世界は平等であることが表現されています。
しかし、お位牌に書かれた戒名は、院号・道号・位号などの
すべてが戒名と受け取られ、重々しく長いものがよい
と考えらがちですが、本来戒名は二文字だけですから
関係のないことなのです。

アップロードファイル 66-1.jpg

戒名を多額のお金で買うのも如何なものかととも思いますが、
何の修行も積んでいない、自分で付けるのも
故人にとってどうなんでしょう。
例えば、自分の戒名を自分で付けるのはどうなんでしょうかね。
無宗教で何も付けないのは、ありかと思いますが。
また、故人の意思で戒名をつけたくなければ
俗名のままで葬儀をしてもかまわないそうです。
皆さん、如何にお考えでしょうか?
神も仏も無い世の中なのでしょうか。
古来あった日本人の価値観は
今、正に変遷しているのでしょうね。
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ちなみに先ほどの記事に興味のある方は
つづきをどうぞ。

戒名料ってホントに必要? 88歳で逝った父に自分で戒名つけてみた(週刊朝日)
戒名を自作したため、後には檀家とお墓の難題が迫ってくるのだが・・・
父が突然亡くなりました。わたしは喪主として葬儀を取り仕切らなくてはならず、その日から次から次へと降りかかってくる出来事に右往左往することになりました。これはわたしが実際に体験した、戒名を自分でつけて、父を送り出すまでの記録です。 (ライター・朝山実)
「わたしの父です! 言われるまでもない!」
思わず声を荒らげてしまったのは、長年、檀家をつとめてきた寺の住職の「おまえさん、亡くなったのが誰かわかっているのか」という、まるで恫喝するかのような口調に対してだった。
訃報の電話がかかってきたのは、3月のある日の朝。いつものように原稿仕事をしていたときのことだ。
父が入居していた老人介護施設は関西にあり、わたしが暮らす横浜からだと、すぐに家を出ても6時間はかかる。
いつものクセで、本をカバンに入れようとして迷った。選んだのは『葬式は、要らない』『戒名は、自分で決める』の2冊の新書だった。
いずれも宗教学者の島田裕巳氏の著書で、高額な葬儀や戒名への懐疑を説き、ベストセラーにもなっていた。とりわけ、後者の本では「戒名」の起こりとともに、故人をよく知るものがつけることができるとも書かれ、「戒名作成チャート」が付いた実践書になっている。
晩年の父は「葬式なんかいらん」と繰り返していた。「じゃ、ほんとうに何もしないけど、いいの?」と意地悪く聞き返すと、戸惑い気味に「そら、あかん。ヘルパーの○○さんには来てほしい。あとはオマエだけでいい」と言うのだ。
ようは、村のひとを集めた仰々しい儀式は不要だと言いたかったようだ。
88歳で逝った父は、兵隊にとられた以外は故郷から出たことがないひとだった。かつて稲穂の匂いがたちこめた田んぼの風景は消え失せ、いまは国道沿いにファミレスが林立する、全国どこにでもある郊外の町になって久しい。
老いてからも村の葬式には欠かさず出席していたにもかかわらず、晩年、自分の葬式は不要と言い続けていた。20年前に他界した母の戒名料には100万円を払ったという。信心があるのかと問うと「あんなクソ坊主、強欲な」と言う。それでも、盆ともなれば高額な寄付を欠かさなかったひとだった。
結局、近しい親族にだけ声をかける「家族葬」を行うことにし、電話帳で葬儀社を探した。石原良純さんの出ているテレビCMが脳裏をよぎり、大きな広告ではなく、小さいけれども親身なことばが<綴られているところに電話をかけた。
自宅での葬儀の段取りはなんなく進んだものの、問題は「戒名」だった。
「そんなに坊さんが気に入らないのなら、戒名はぼくがつけようか。どういう文字を使うとかの決まりごとを守れば、別にお坊さんがつけないといけないわけじゃない。つけ方の本も出てるから」と言うと、いつも怒り顔の父が「そうか、おまえがなぁ」と笑った。
まだまだ先のことだと思っていたが、それから1年もたたずに新幹線の中で、島田氏の本を読み返すこととなった。
老いるほどに頑固になり、親族との諍いの絶えなかった父だったが、不思議と戒名を考えている間は、幼いころに川遊びにつれていってもらったことなど穏やかな面影が次々と浮かんできた。書いては消しを繰り返したのは、わずか2文字で、故人のひととなりを表す院号をどうするか。のぞみが名古屋を出たあたりで「喜捨院」と決めた。
阪神の大震災で被災してからの父は、赤十字や福祉団体に寄付し、感謝状をもらうのを喜びにしていた。ある意味、父にとって唯一の趣味だった。
戒名は決めたものの、素人がつけたもの。新大阪の駅に降り立ったときには、これをもとにして、お坊さんにつけ直してもらうのがいいだろうくらいに思っていた。
葬儀社のひとに「決めている戒名があるのですが」と伝えると、「故人のことをいちばん知っている方がつけられるのは、供養になります」と言われたのが後押しになった。「お寺さんに言っても大丈夫ですか?」「そこは慎重にお話ししてみてください、間違ったことではありませんから」。そんなやりとりのあとだった。
「おまえさん、何考えているのか知らんが」とお坊さんの声色が変わったのは、通夜と告別式の日取りを決めたあとだった。
「決めている戒名があるんですが」と切り出したとたん、「何をされているのか知らんけど、仕事をされているひとなら、どんなビジネスにも立ち入ったらいけない領分というのがあるのはおわかりでしょう」と諭す口調で迫ってこられた。
「はあ」。吐息をつきながら「ビジネス」という言葉にひっかかりを覚えて無言になると、「そんな常識外れなことをしたら仏さんは浮かばれない」「墓に入れんよ」とまで畳みかけられたあげく「亡くなられたのは誰だかわかっているのか」とまで叱責され、その後は売り言葉に買い言葉の応酬となった。
腹立たしくて、お坊さんのお参りを断ったものの、さてどうしたものか。「無宗教葬でもよろしいのでは」と葬儀社さんから助け舟を出されるものの、「できることならお坊さんのお経は」と頼み込んで、戒名を見てもらった上でお引き受けいただけるお寺を紹介してもらった。
お布施とは別途に「お気持ち」の戒名料をお出しはしたが、戒名についてのいわれを問われて父の人柄などを話すうち、ささくれだった気持ちは消散していた。
「よく考えられたリッパな戒名です。どこで勉強されたんですか?」
島田さんの本だと言おうかどうか迷いつつ「まあ」とあいまいに過ごすと、「リッパなもんです」と2度3度と褒め上げられ、葬儀社のひとから助言してもらった「お気持ち」相場よりも弾んでしまった。ビジネスというならピンチヒッターのお坊さんのほうが上手だったということになる。
「いまの時代に戒名が必要なのかどうか疑問ですね」
後日、葬儀社の担当の方に話をうかがうと、こんな答えがかえってきた。
友人たちに話すたび「戒名はお寺さんの収入源なんだから怒るのは当然」という意見が大半だったから、常識外れなことをしたのかと思っていたが、家族葬を中心にしているその社長さんは、戒名料がもとでお寺ともめて檀家をやめるケースも近ごろはめずらしくもないという。
「お墓に入れないというふうな言い方をされたのも、檀家離れを恐れてのことだと思いますよ」
先祖代々の骨の入っているくだんのお墓だが、寺の所有ではなく村の共同墓地で、お坊さんには排斥したりする権限がないことも後に判明した。
高額な戒名料を払わずに安堵したという気持ちもあるが、なにより自分なりの思いをこめて父を弔えたということでは悔いのない葬式だった。
残念というなら「どのような戒名ですか」と、くだんのお坊さんに訊ねられぬばかりか、お悔やみの一言すらなかったことだ。
あさやま・じつ 1956年、兵庫県生まれ。地質調査員、書店員などを経て、ライターに。共著に『イッセー尾形の人生コーチング』など

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